坂本紙工業 工場風景

2018年秋、金閣殿の産みの親である坂本紙工業さんがその長い歴史に幕を降ろされました。もともと手漉き和紙から始まった坂本紙工業さんは昭和40年代に機械化生産に取り組まれました。オフセット印刷に適した和紙の開発に取り組まれた先代は試行錯誤を重ね金閣殿を作り上げました。その命名は仏閣本殿内の光り輝く様子にインスパイアされてそうです。
金閣殿は写経用紙や便箋など多くの和文具に使われてきました。いの町和紙博物館のリーフレット、入館券にも使われていました。しかし抄紙職人でもある現社長の高年齢化に伴い、抄紙機械の老朽化もあって工場の閉鎖を決定されました。
金閣殿が本当に良い紙だっただけにとても残念ですが、こういう素晴らしい紙に出逢えた事、お付き合いさせて頂いて、行く度に暖かく出迎えてくれた事は、僕達にとって非常に有難いことでした。
現状の和紙メーカーも同じ状況のところはたくさんあると思います。こうやって過去の素晴らしい技術やモノは失われていくのだなと実感しました。その時代ゞに築かれたモノを残していくのはとても難しいことです。時間の流れは過去から未来へと色々なモノやコトを無くしては産み出し続けていくのでしょうね。

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しゃちょーさん
幼少の頃より紙の商いの中で育つ。遊び場は紙屋の倉庫。小学生の時にすでに倉庫内でプラッター運転を覚え、前腕でだけでプラッターの前後レバー、爪の前後上下を操作する倉庫マンに憧れる。高校生でアングラ・コアと出会い、ノイズパンク作曲活動開始。大学では生物学を専攻し、将来農家になることを夢見る。ホタルイカ研究に同行し発行体採取後の生きたホタルイカを醤油だれの中にひと泳ぎさせる「沖漬け踊り喰い」を発案する。また、学生時には「ひとり旅」に没頭。スイス自転車一周旅の際は、ブライトホルン単独登頂を成功させる。卒業後、紙の専門商社を経て、山本紙業に入社。現在、山本紙業の代表を務めている。
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